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浄光院 (加藤清正側室) : ミニ英和和英辞書
浄光院 (加藤清正側室)[じょうこういん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひかり]
 【名詞】 1. light 
: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [はた]
 【名詞】 1. (1) near 2. close 3. beside 4. vicinity 5. proximity 6. besides 7. while 8. (2) third person
側室 : [そくしつ]
 (n) noble's concubine
: [しつ, むろ]
 【名詞】1. greenhouse 2. icehouse 3. cellar, cell

浄光院 (加藤清正側室) : ウィキペディア日本語版
浄光院 (加藤清正側室)[じょうこういん]

浄光院(じょうこういん、正字:淨光院、? - 寛永2年6月22日1625年7月26日))は、加藤清正の側室で、清正の長女あま姫(本淨院)の生母である。竹之丸殿と称された。
中世肥後国守護職を務めるなど、九州では名高い菊池氏の一族、赤星統家の子の赤星親武(赤星太郎兵衛)の娘に生まれた。赤星家は豊臣秀吉の九州統一により没落したが、親武は肥後の新領主となった清正に仕え有力武将として活躍し、加藤十六将の一人とまで名を挙げた。のち清正の指示により大坂城豊臣秀頼に直参し、大坂夏の陣において天王寺口で戦死した。浄光院の兄弟には赤星道重がいるが、大坂の陣では城を脱出、浪人し島原に移住し、島原の乱では反乱側にて天草十七人衆と呼ばれ、原城落城の際に一騎打ちの末に戦死した。
浄光院は慶長2年(1597年)の慶長の役の際、清正に伴われて朝鮮へ渡り、同地で清正の子を懐妊、翌3年(1598年豊臣秀吉の死去により全軍が朝鮮より撤退する際、日本へ帰国途中の島(壱岐か?)であま姫を出産した。一説には現地の海女がとりあげたので、清正によって「あま」と名づけられたという。帰国後は熊本城内の竹之丸に置かれたので竹之丸殿と称された。
あま姫は榊原康勝と結婚するが、康勝が若死にしたため加藤家江戸屋敷に戻り、やがて阿部政澄に再嫁した。浄光院は晩年には生母としてあま姫と江戸で過ごしたと推測される。その為、墓は池上本門寺阿部家墓地にある。
寛永2年(1625年)6月24日に逝去。あま姫(本浄院)墓と同じ基壇に寄り添うように並べて建てられ、法名は「肥後守九大妃 淨光院殿日英俶神尼」と刻まれている。
==参考文献==

*水野勝之・福田正秀『加藤清正「妻子」の研究』ブイツーソリューション、2007年
*水野勝之・福田正秀『続 加藤清正「妻子」の研究』ブイツーソリューション、2011年



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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